鈴木のつぶやき

人間であることに疲れてきた(^-^;

トラウマが無いという人にトラウマを与える実験をしてみてはどうか

トラウマが無いという人がいるが、無いならどうして名前が付いているんだよ。

そりゃ、一反木綿とか、いないのに名前ついてるお化けとかいるけど。

というか鬼太郎君も架空のキャラだけど居ることになっているのだから

架空でも実体が無くてもあると感じたなら何かは有るんじゃないの?

怖い、とかの感情だって見えないし掴めもしない何かだが、確かに誰にでもあるじゃんね。

概念的にあると感じられるならあるんじゃないの?神様とかそんな感じじゃない?道祖神とか。

というか、トラウマが無いと言う人は心がないのか。と思う。

「トラウマなんかないよ」と一言いえば苦しみの元となった体験がない(意味が、ない)ことに出来て、人から苦しみを相談される側は楽になる。一言で済むし。

他人の苦しみの訴えを数秒で黙らせたい人には魔法の言葉でんがな。

どうする、親が子供が学校であったなにかを辛いって訴えてるときに「トラウマなんか無い」と言ったら。

学校で虐められてる辛さを親に訴えたら「トラウマなんか無い。おまえの捉え方が悪い。つべこべ言うな、早く学校行け。」って言う流れが目に浮かぶw




苦しみがあって相談した人は、感情を丸ごと否定された気持ちになる。人間は感情システムが有るしむしろそれそのものみたいなもんなのだからそこから湧いた感情を否定されたら何だか全てを否定された気分にならんか?

辛いことがあったときに
「お前が辛さを感じるから苦しむんだ、お前のやり方が悪いんだ。」
と言われる気分。
悲しみと恨みと憎しみとそれらによる
怒りしか湧かないw

だからさ、トラウマは無いとか言う人に、トラウマを与えて、トラウマは有るか無いか質問するという実験をしたらいいんじゃないかと思うは。
 
たとえば~
トラウマは無いという人のクチとけつの穴に電極を差し込んでおいて、たまに電流を流すとする。死なない程度の強さでね。
それを数年かけて何回もやります。
タイミングはランダムに。

寝ているときも突然やります。
虐待は寝ているときも突然叩き起こされて始まるからねえ。

すると、
トラウマは無いという人に電極を見せただけで、きっと震え上がって怯え出すでしょう。
そこで、

「トラウマはないよ。なのにどうして?
それともトラウマは、あるの?ないの?」

と問うてやればよろしいでしょうか。






でも実際はこの実験は出来ないと思う。

どんな方法であっても
苛烈な経験をうけさせないとならないから、おそらく人権侵害することになり
裁判になると負ける。チッ


裁判したら被害者が勝つような内容のことをされてトラウマになってるのに、
トラウマが無いとか!!
じゃあもう裁判もいらなくね?

裁判官「レイプによるトラウマはありません。身体に怪我が無く妊娠もしていないなら何も問題有りません。解散」

に近くなるんじゃないの?
あり得ないと信じたいが。


はあ…





だから、「トラウマはない」と言いたい人は、苦しんでいる人を数秒で黙らせたいだけの、あまりにも心無い人なんじゃないかと思う。

または奇をてらった事を言って注目を浴びて自分の商品を売りたいか。

売れれば何でも良いのかいな。


突き詰めて、
出来事に対する認知の仕方次第で苦しみから一時的に逃れられる、
と言いたいのは分かるが、

だからといってトラウマが無いことにはならないよ。あるから苦しむんだから。何を言っているんだ。


トラウマがあって苦しんでいる

トラウマの元になっている出来事の認知の仕方を変える

変わった人は認知の仕方により苦しみの感情を抑圧することに成功した
or
苦しみの感情を抑圧しきれない場合は効かない
or
感情を抑圧できても圧縮されて残ってるんだからいつかまたなにかの弾みで出てくる

生きていればある日突然また他のトラウマを得る機会がある

死ぬまでループ


ここまでが様式美。





トラウマの元となった体験に違う意味づけを与えて印象を変えても、

こういう方法論じたいをせっせせっせと解説しても、

苦しい気持ちは無くならない。


トラウマに苦しんでる人は苦しい気持ちを何とかしたいのであって
見方を変えて抑圧したいのでもないし
その方法論を聞きたいのでもない


抑圧したいなら何かに依存すればいい、その間は忘れられる。
それが方法論をきく、知識を叩き込むことであるかも知れないし、
宗教の教義やスピの説明とかに集中して依存することかも知れない。

そこではなにかを「分かった」気持ちになるから、少しすっきりする、
そのすっきりによって少し気分が良くなるから
「スッキリ」に依存することになるのではないの?

スッキリが次々と手に入らなければ、
苦しみを押さえつけていられない。

だからどんどん高額な商品、高額なコースを必要とするようになる。

苦しみを何とかしたいという苦しみを利用されるという更なる苦しみ。

無限地獄ってこういうことだよね。







苦しい気持ちを置き去りにしてるから苦しみ続けているのに…




もうこの際、トラウマが有ってもなくてもどっちでもいいから、
苦しい気持ちを直視してちゃんとケアしようぜ?

感情を隠したり、無かったことにしたり、他のことに気を逸らさせて(依存させて)やり過ごしたりするんじゃなくて。

感情に正誤とか方法論とかで応じようとするからごまかしでしかなくなる




うれしい気持ちで考えてみればいい

嬉しい気持ちは共有するとフワーと消えていく。収まる。終わる。

例えば嬉しい気持ちをSNSに書いたら(言語化したら)気持ちが収まる。一段落する。

そしてそれはほとんどの場合、否定されずに受け止めてもらえる。
「良かったね」「おめでとう」
「それは嬉しかったでしょうね」

しかしもし
「そんなことが嬉しいの?」
と言われて受け止めてもらえなかったら
腹が立つでしょ!!!



苦しい気持ちだってそう。

否定されずに受け止めてもらえたなら、気持ちは収まる。終わる。

でも実際は
「そんなことが苦しいの?それは苦しみの内にはいらない」
「世の中にはもっと苦しんでいる人がいる」
「捉え方が間違っているのでは?」
「トラウマはないよ」
みたいに
なってませんか~??





「辛かったんだね」
「嫌だったね」
「それは苦しいね」
がまず出てこない、我慢が美徳の日本人ww


これがおかしいんだって。

トラウマが有るとか無いとか 
認知を変えるとか変えないとか
そういう話以前にハートだっつーの

人間同士なのにハートで交流してないから
おかしくなるんだよ!

親子もハートで交流してないからおかしくなる

子供は人間だから親にハートで交流して欲しいのに行われない、だからエラーがたまりすぎて壊れる。

壊れたまま身体が大きくなり
種の保存プログラムが働いて
雄でも雌でも性交するから
子供は生産される、
そして
出来た子供もせっかく人間だったのにまた壊れる。

でも親もまたその親達によって壊されてるから、この世は
被害者ばっかりになっている

自分の苦しみが対応されてなくて
苦しみに耐えるのに精一杯、

その状態で他人の苦しみに対応するのなんて
当然無理、

そこで「トラウマはない」は
他人を黙らせるための
魔法の言葉

ついでに自分も信じれば
己の苦しみと向き合わなくて良くなる



はいはい地獄絵図の始まり始まり 

どんなに苦しみを押さえつけたり隠したりしても、なくなる訳じゃあないからね。

そんなことしても
苦しみが長引くだけ。

苦しみが苦しみとして受け止められるなら苦しみは消える。

何度苦しんでも何度でも受け止められて
自分は何度でも助かると
無意識でも信じられる、その期待が
生きる気力を支える。